関わった人の表情や声のトーンに影響され、胸の辺りに鉛が居座ってしまったかのような重さを感じることに悩まされていたのですが
瞑想で聞いた解答では
🔷攻撃体制の蛇
🔷とぐろを巻いた蛇
🔷ラムネ
攻撃体制の蛇は、波動が粗くて攻撃的な状態。
欲望と恐怖の波動。
とぐろを巻いた蛇は、落ちついて平和な波動。
重さというのは、波動が低くく重くなった時に生じるもので、波動が軽くなった時にラムネのように溶けてなくなるということらしいです。
だから、波動が低い状態では何をしても解消されません。
では何故その重さは、生じたのか?
爆発というイメージが浮かびました。
たまったものが限界をむかえたそういう感じのようです。
内向的な人が社会から外向を強いられ、自分の意に反して外向的でありつづけるということは、綱引きのように引っ張られエネルギーが消耗することなのです。
したくないのにし続けるということは、必ず限界をむかえます。
集まりに参加したくないのに強制参加。
波動の低下を感じるので内側でエネルギーチャージしたいのに仕事上人に話しかけに行かなければならない。
笑って話しかけられたら、面倒臭いと思いつつお返ししなきゃと頑張って笑って話しかけに行く。
そのようなやりたくないのにやるという状況が続くと嫌な気持ちが無意識下でたまり、低波動となって行きます。心が重くなっていてもそうじゃないふりをし笑って話します。
それは、笑っていても無意識下で波動で相手に伝わり時間が経ってから、相手に冷たい表情や声のトーンで話させることに繋がります。
では、私が悪いのかというと、私は、集団の中では偏りを直すバランサーの役割をしています。
外側にみんな意識が向かうので内側方向が欠落してしまう。だから、私のように内側方向に偏った人間がいます。
バランスが偏っていることが重さの原因です。
私は、外側に偏った時に生じる重さを感じているのです。
集団は、常に外側方向なので、バランスがどうしても崩れるのです。
崩れた時に発生した重さや痛みを私は、泣いて排出していました。
排出しても排出してもバランスは、崩れます。
最近瞑想や内観を徹底しているのですが、思考がなかなかおさまりませんでした。
本でおしゃべりな声は、エゴの声と言っていたのを思いだし思考は、エゴの声と思いながら観察してたら、思考が静まってきました。
一旦静まると思考の声は小さくなりやすくなる気がします。
その時気づいたのですが心の重さが軽くなっていました。
しかし、嫌な外側からの刺激や思い出しがあると、また重くなります。
やはり、波動の高低が重さを生じさせたり消したりしているようです。
心が重くなっていて人から笑って話しかけられると心が軽くなる時があるのですが、その場合は、重さが消えたのではなく、相手に重さが移っただけです。
後から、その重さは、相手からの自分への冷たい態度となり再度重さを発生させます。
かといって重いからといって他人から距離を置くような無表情の冷たい態度を取るとどうしたんだろ?って目で見られます。