ここ、ずっとAさんと私の立場がひっくり返り運気が低下し人気がなくなっていました。
最初は、人と比べて気にして落ち込んでいました。
笑って繋がりあって見える人達と孤立して見える自分。自分なんていなくてもいいのでは?と頭によぎることもありました。
周りが光ってて自分は、影のような気分でした。
しかし、私は開き直ると強くなる所があり、人が寄って来たら来たで会話のキャッチボールが始まり返さなくちゃいけないし面倒臭いから無くてもいいや。少数寄ってきた人だけと会話のキャッチボールしてりゃいいや。1人で目立たないように居よう嫌われてもいいやと開き直りました。
闇を受け入れられる人間でいよう。人は、光を求めるけど闇は求めない。
誰かが闇を感じてあげなければ誰かを光らせることは出来ない。
光だけでは、この2元性の世界は成り立たない。
私は、闇を受け入れる強さを持とう。悲しくなったら泣こう。
闇を受け入れ生きられる人間は、闇も光も扱える。どんな事にも強くなれる。
昔の私は、闇に振り回され光に振り回されてきたけれど今は、知恵(光)を得たから大丈夫。
誰も居なくなっても私には光の中で獲得した知恵があるから。
知恵が私を支えてくれる。
欲望と恐怖の波動に関する知恵
バランスに関する知恵
痛みを感じて泣いてネガティブエネルギーを排出する知恵
類は友を呼ぶ法則の知恵
縦の光、横の光の知恵
私のエネルギーは、広めない。みんな勝手に幸せでいればいい。私が居なくなっても幸せならそれでいい。
そうやって1人を受け入れると何故か?話しかけてくる人が現れ、またそれに惹き付けられるように人が寄ってきて、会話のラリーを返してしてるうちに、また人と繋がり、返す人が増えてきていることに気づきました。
ラリーが増えるとエネルギー値が増えて話しかけるエネルギーの勢いが出るので、話しかけ、またラリーが繰り返されるのです。
会話のラリーは、話題を探したり話すタイミングがあったり、相手の表情に左右されたり、自分自身のエネルギーの有無もありプレッシャーに感じます。
だけど人の優しさ弱さに気づいたり学ぶこともあります。
人気があって優遇されてると思ってた相手が実は、私が思ってたより辛い思いをする事があったり自己評価が低い所があったりする事を知り親近感を感じる事がありました。
自分ばかり人に当たられたり嫌な目にあってるように感じる事がありますが、実は他の人が嫌な目に遭ってるのは目につかないだけなのかもしれません。
今回の学びとしては、結局極端になると真逆の極端に戻されバランスされるということのようです。
私がエネルギーを引けば私のエネルギーが減ります。
減ると減ったものを取り戻そうとする働きが起こるのかもしれません。